Archive for the ‘freedom article’ Category
認
2回目の佐藤雅彦の「“これも自分と認めざるえない”展」に行ってきた。
佐藤雅彦はピタゴラスイッチで有名な人(他にも「バザールでゴザール」とか「ポリンキー」とかのCMも手がけている)。
今回の展覧会は、ピタゴラスイッチが持っているような「装置自体」の面白さはもちろん、その「装置」が「自分が自分であること」を違った切り口で明らかにしてくれるというところに面白さがあった。
会場入場時に自分の身長や体重、網膜認識、宙に星の形を描く筆線などを登録。さまざまな装置がそのデータをもとに「自分」導き出す。
穴をのぞくと網膜認識からディスプレイに登録した自分の名前と網膜判別の記号が表示されたり、Wiiのコントローラーのようなものを持って宙に星を描くと、同じように「あなたは○○さんです」と自分が導き出されりする。
かなりの確率で自分の登録した名前がディスプレイに表示されるが、これで自分の名前が出なかったらどうしようという緊張感も味わえる。
自分が自分であることは自分が最も強く認識しているはずだが、それを上回るテクノロジーという説得性に断言されると、自分が自分であることに奇妙な不安感を覚える。装置は「自分ではない」と示すのではなく、「あなたは○○です」と会場に来ている違う人の名前を表示する。ここが今回の展覧会のミソのような気がする。
自分を否定されているわけではなく、代替としての他人を与えられる。否定されると「自分を認める」という行為は発生しないが、誰か違う人が代替として与えられるので「これも自分と認めざるをえない」のだ。
普段なかなか触れることの出来ない特殊な「装置」。そのテクノロジーの力に「自分」を委ねてしまう。自分が自分であるという説得性をいとも簡単に奪われてしまうような「人」と「装置(テクノロジー)」の関係性の構図は、非常に現代的と言えるかもしれない。
es mod
10月からパターンを習うために学校に通うことにした。
服の構造が知りたくて、そして将来の自分のデザインワークに繋げるために。
通う期間は6ヶ月だが、良い服とは何なのか、ファッションとは何のか、未来のファッションには何があるのか、ずっとずっと考えてたいと思う。
そして、自分なりの答えを自分なりの表現で落としていく作業。作業。作業。体が覚えるまで死ぬ気。
BURBERRY PRORSUM
BURBERRY PRORSUM 2011 S/Sコレクション。バーバリーらしいミニマルからワンポイントのネオンカラー、中盤でロックテイストに変わり、最後はレオパード柄とロックの組み合わせ。
前回同様、ネットでのストリーミングライブ配信を行ったわけだけども、そのコンテンツとしての完成度が非常に高かった。ファッションとWEBの新たな形の最先端を行ってると思う。
ライブ配信中の動画と連動したイメージの切り替わり、そしてビューワーたちのコメントライン。閉ざされた世界で行われていたコレクションがより多くの人にリアルタイムで共有され、リアクションが即座に起きる。U-streamなどのサービスではなく、自社サイトで行うことでブランドの世界観もしっかりと維持され、コレクションに参加しているような臨場感もある。
3D配信やデジタルカタログとしてそのままショーをダウンロードできる発想もすぐに現れるだろう。
ただ、素材感や細かいニュアンスなんかは動画ではとても伝わりにくい。着て服を選ぶ or 服を感じるという人へのブランド訴求という意味では動画も限界がありそうだ。
スタイルで服を選ぶという人がほとんどだが、その服が表しているものやテーマに合わせた素材の選択などのプロセスがスタイルを形成していることを無視して服を選ぶ人が多くなるかもしれない。そのレベルでよければ、適当にセレクトショップでスタイルが自分に合うものを買えば良いと思ってしまう。
Hotels
仕事の一環でザ・ウィンザーホテルに泊まった。
日本でも有数の高級ホテルというだけあって、建物・ロケーションは最高だった。アメニティはブルガリのシャンプーやリンスを取り揃えていて、バスローブは21,000円もする良質のタオル地のもの。
ただ、家具なんかの細かい部分はそこまで気を配っている様子が無く、ホテルが目指す方向性や空間性というものに違和感が残った。何となく記号化したファッションブランドのような。「○○のブランドの服を着ている」という経験に価値を置いた消費の仕方のような、「ザ・ウィンザーホテル」に泊まったという経験だけが残る。
空間はそれ構成する様々な要素(景色、家具、調度品、気温、匂いなど)が作り出す異世界にどこまで引きずりこめるか、だと思う。そういう意味でここのホテルが作り出す空間は異世界にまで到達していなかったというのが個人的見解。
nature
森美術館で行われているネイチャーセンス展に行って来た。吉岡徳仁、篠田太郎、栗林 隆の3人が日本の自然知覚力を考えたインスタレーション作品が並ぶこの展覧会。
今年行ったインスタレーション系の展覧会で、かなり上位に入る出来だったかもしれない。
何が良かったかというと、自然の捉え方とその表現手法。
この展覧会を見に行く前に自分なりにテーマである日本人の自然知覚力ってものを考えてみたけど、かなり安易というか日本人じゃなくてもそれを自然だと認識できるダイレクトな表現方法しか思い浮かばなかった。
そんな状態で行ったものだから、彼らの想像力と表現方法にあっさり屈服させられた感じ。
自分が日本で住んでいることをはっきりと意識して生活している証拠なんだろう。「気づき」というもの、日本人というアイデンティティの捉え方というか。日本人であることへの劣等感を抱いている人も多いと思うけど、彼らは少なくともその劣等感以上に「日本人だからできる特別なこと」に気づいているんだろうと思う。











