9月の3連休で被災地に行ってきた。
震災から半年経った今、東京ではほとんど被災地の情報は入ってこなくなっており
ほとんどの人にとっては過去の出来事になりつつある。
自分自身もTwitterやFacebookで気になる現地の情報は
ポストしていたものの、かなり傍観的に被災地を見るようになっていた。
ただ、普段の生活を送っていても、どことなくスッキリしないというか
しこりが残っているような「違和感」があり
未だに続く余震を感じては、半年前の恐怖を思い出したりしていた。
被災地に足を運んだ理由は、断片的な情報しか入ってこなくなりこのまま
あの日が過去になる事に納得ができなかったから。
何となく感じている「違和感」をうやむやにできなかったから。
そして、来年日本を離れる前に今の自分の国をしっかりと捉えておく必要があると思ったからだ。
もし東京にいる人が想像する復興の形があるとすれば
現場はその想像の半分にも届いていないと思う。
津波で流された瓦礫の山、町のいたる所で見られる冠水
そして撤去されることなくそのまま残っている住居。
実際にそれらを目の前にすると写真や映像を通して見ていた感覚とは違う恐怖感に襲われた。
頻繁に使われている「壊滅的」という表現がここまでしっくりきたのは初めてだった。
ボランティアにも参加し、何か手伝えたらいいなという軽い気持ちはどこかに消えてしまった。
今回の地震は東北という局地的なことかもしれないが、瓦礫の山を片付けていると、どこか自分の国のことだ
という広域的な意識に変わっていく。自分の国を建て直さないと、というような。
また機会があれば現場に行こう、という気持ちでは落ち着かない。
また来なくちゃならないし、自分が想像している「復興」の形に
少しでも近づけなくちゃならないと思う。完全に他人事では無くなった。
こう思うのは単なるエゴかもしれないが、少なくとも自分は
今回の震災の捕らえ方が客観から主観に変わった。紛れも無く。
9月の3連休、被災地に向かう。石巻市と女川町。
震災から半年経った今、東京ではほとんど被災地の情報は入ってこなくなっており、ほとんどの人にとっては過去の出来事になりつつある。
自分自身もTwitterやFacebookで気になる現地の情報はポストしていたものの、かなり傍観的に被災地を見るようになっていた。
ただ、普段の生活を送っていても、どことなくスッキリしないというか、しこりが残っているような「違和感」があり、未だに続く余震を感じては半年前の恐怖を思い出したりしていた。
被災地に足を運んだ理由は、断片的な情報しか入ってこなくなり、このままあの日が過去になる事に納得ができなかったから。
何となく感じている「違和感」をうやむやにできなかったから。
そして、来年日本を離れる前に今の自分の国をしっかりと捉えておく必要があると思ったからだ。
もし東京にいる人が想像する復興の形があるとすれば現場はその想像の半分にも届いていないと思う。
津波で流された瓦礫の山、町のいたる所で見られる冠水、そして撤去されることなくそのまま残っている住居。
実際にそれらを目の前にすると写真や映像を通して見ていた感覚とは違う恐怖感に襲われた。頻繁に使われている「壊滅的」という表現がここまでしっくりきたのは初めてだった。
ボランティアにも参加し、何か手伝えたらいいなという軽い気持ちはどこかに消えてしまった。
今回の地震は東北という局地的なことかもしれないが、瓦礫の山を片付けていると、どこか自分の国のことだという広域的な意識に変わっていく。自分の国を建て直さないと、というような。

陸地に乗り上げられたままの船。

カーナビのアナウンスに出てくる施設はほとんど残っていない。


中央分離帯に残された巨大な看板?

へしゃげた工場。こういう建物がいたるところに残っている。

また機会があれば現場に行こう、という気持ちでは落ち着かない。
また来なくちゃならないし、自分が想像している「復興」の形に少しでも近づけなくちゃならないと思う。完全に他人事では無くなった。
こう思うのは単なるエゴかもしれないが、何もしないまま忘れていくよりもずっと良い。頑張れ日本!なんて他人行儀な事は嘘でも言えなくなった。